聖ペーター僧院教会(de,St.Petersstiftskirche)は、聖ルーペルトが696年に開いたベネディクト派の教会であり、ドイツ語圏のなかでは最も古いとされる男子修道院である。当初はロマネスク様式を主として建てられ、三廊式バシリカの形式をもち、回廊西翼や玄関にはロマネスク様式の、マリア礼拝堂には初期ゴシック様式の古い建築様式を今に伝えている。18世紀後半には後期バロック様式で改築され、内装はきわめて壮麗かつ優美さも加わり、すでにロココ様式の片鱗もみられるとの評価がある。
その教会墓地であるペータースフリートホフ(Petersfriedhof)はロマン主義の時代には、ロマン主義者たちが好んだ強烈な磁場をもつ空間となった。18世紀に活躍したミヒャエル・ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟)もここに眠っている。また、ロマネスク-ゴシック期の岩窟礼拝堂、グロッタや初期キリスト教徒の地下納骨堂(カタコンベ)も見学することができる。
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聖ペーター僧院教会に隣接して、メンヒスベルク山の岩盤をくりぬいた岩肌を利用したレストラン「シュティフツケラー・ザンクト・ペーター」があり、フランク王国のカール大帝の宮廷に仕えたアルクィンが803年に「ヨーロッパ最古のレストラン」として記録している。1720年以降は、貴族や市民、聖職者たちがここに出入りするようになり、ミヒャエル・ハイドンもしばしば訪れている。教会墓地付近には彼が居住したことを記した銘板のある建物もある。
ノンベルク修道院
西暦700年ころにブルクベルクの山麓に創立されたドイツ語圏最古の女子修道院であるノンベルク修道院もまた、かつての遺構、遺物を多く保持している。15世紀後葉に改造された三廊式バシリカには1150年のロマネスク期制作の壁画が今も残っている。
フランチェスコ会修道院聖堂
フランチェスコ会修道院聖堂は、聖ペーター僧院教会とレジデンツの間に位置している。後に多くの付属施設が加えられることとなったが、中世の建築要素がもっともよく維持された建物として知られている。それに対し、西暦800年ごろに建築された聖ミヒャエル聖堂は、商人の教区聖堂としての中世の伝統をもはや見ることができない。
ホーエンザルツブルク城
ホーエンザルツブルク城(de;Festung Hohensalzburg)は、1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争のさなか、教皇派の大司教ゲプハルト(ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世、Gebhard of Salzburg)が皇帝派の南ドイツ諸侯に対抗すべく建築した防衛施設で、旧市の南端、メンヒスブルク山の山頂に立地する。ゲプハルトにはじまった増改築はマイセン辺境伯コンラート1世(1098年ころ-1157年)のもとで一応の終了をみた。「赤ひげ王」として知られる神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世"バルバロッサ"(在位1152年-1190年)によってザルツブルクの町が焼き払われたことがあったが、この城はそのときも無事であった。
ホーエンザルツブルク城は、町のほとんどどこからでも見ることができ、1.3キロメートルにわたって続く高さ約50メートルの高地をなしている。一番高い場所(ホーアー・シュトゥック)の標高は508メートルである。
城のなかには、等身大の12使徒像がならんだ1498年建造の「聖ゲオルク礼拝堂」、ザルツブルクの町の人びとに時を告げる、1502年製作の機械オルガン「ザルツブルクの雄牛」があり、いずれもレオンハルト・フォン・コイチャッハ大司教(在位1495年-1519年)の大拡張によるものである。その後も歴代の大司教により増改築がくり返され、17世紀後半にはほぼ現在の姿に近づいたと考えられる。
内部はブルク博物館になっており、マヨルカ焼の後期ゴシック様式の豪華なストーブや武器、魔女狩りが盛行した時期の拷問具などが展示され、「黄金の大広間」「黄金の小部屋」など後期ゴシック様式の壮麗な部屋がある。15世紀までは大司教の住居として使用され、それ以後は兵舎または牢獄として利用されたが、外敵に占領されたことが一度もなく、ヨーロッパ中世のものとしては完璧に保存された稀有な例となっている。「レックの塔」からは北に市街地、南にアルプスの山々を見わたすことができる。
ホーエンザルツブルク城では毎年「国際サマーアカデミー」がひらかれており、世界中の芸術家が集まる。山頂へは、1892年開通のケーブルカーが約10分間隔で往復している。
市内にのこる市壁の痕跡
11世紀後半の城の建設に対して、市壁の建設が決定されたのはようやく1278年になってのことであった。市壁の痕跡はいまも市街にのこっており、中世の都市構造はつづら折りになった小路とともによく残されている。
レジデンツ広場
レジデンツ広場(de;Residenzplatz)は、ツェントルムと呼ばれる旧市街の中心に位置し、中央には「アトラス神の噴水」がある。三方を大聖堂(南)、レジデンツ(西)、グロッケンシュピール(東)に囲まれた一画である。
広場西側にはその名称の由来となったレジデンツ(宮殿)が建っている。現在の宮殿は1619年に完成したもので、歴代の大司教が居住して政治をおこなった場所であり、すべての部屋の天井にはアレクサンドロス大王の絵が描かれている。「神童」と呼ばれた天才モーツァルトが5歳で音楽会をひらき、また、はじめて自作のオペラを上演したところでもあり、モーツァルトの主人であったヒエロニムス・フォン・コロレド(Hieronymus von Colloredo, 1772年-1803年)はザルツブルク最後の大司教となった人物である。
現在、レジデンツ内部はザルツブルク州立博物館となっており、そのギャラリーにはヨーロッパの美術品とくに中世絵画が多数収集され、中世の武具なども数多く展示されている。
広場の東側には35個の鐘をつけた新宮殿(州庁舎)の鐘楼があり、「グロッケンシュピール」とよばれるカリヨンがある。1695年、ヨハン・エルンスト・フォン・トゥーン (Johann Ernst von Thun) 大司教がベルギーのアントウェルペンの鐘鋳造職人メルキオール・デ・ハーゼから購入したものと伝わる。7時、11時、18時の1日3回、モーツァルトの曲を演奏する。
モーツァルト広場と大聖堂広場
グロッケンシュピールの北側はモーツァルト広場(Mozartplatz)とよばれ、中央にモーツァルト像があり、カフェやレストランが並んでいる。その北のモーツァルト小橋によってザルツァッハ川右岸の新市街と結ばれている。
レジデンツ広場の南側、大聖堂のさらに南にはドーム広場(Domplatz)があり、聖ペーター僧院教会とのあいだの狭い坂道の裾にホーエンザルツブルク城へのケーブルカー搭乗口がある。
中世の小路と街並み
ザルツブルク旧市街にはゲトライデ通り(Getreidegasse)、ユーデン通り(Judengasse)、 ゴールト通り(Goldgasse)、ブロート通り(Brodgasse)、河畔通り(Kaigasse)、新市街にはリンツァー通り(Linzergasse)、シュタイン通り(Steingasse)など数々の小路があり、中世の都市構造は、これら不規則に絡み合った細い小路によく残されており、その街並みにはアーケードをめぐらせた中庭がともなっている。また、それぞれの小路では、中世様式、ロマネスク様式、ルネサンス様式、バロック様式など各様式で建てられた建築物や、ハプスブルク朝時代における擬古典的で優雅な民家を目にすることができる。
旧市街(ツェントラル)中心部のゲトライデ通りには商店、同業者組合、業者などの装飾的な鉄細工の看板がたくさん並んでおり、現在では、ユーデン通りとならび、ザルツブルク旧市街で最も繁華な小路となっている。ユーデン通りは、その名のとおり、かつてユダヤ人の居住したゲットーのあった小路である。
1756年1月27日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生したといわれる家(Mozarts Geburtshaus)は、ゲトライデ通り9番地に所在する黄色い建物の4階にあり、現在はモーツァルト記念館として残されている。1769年、ときの大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハ (Sigismund von Schrattenbach) は、13歳のモーツァルトを宮廷楽団のコンサートマスターに任命している。
ここには愛用のピアノやヴァイオリンなどの楽器、自筆の楽譜のほか、父レオポルト、母アンナ、姉ナンネルルをはじめとするモーツァルト一家の肖像画などが展示されている。
「大司教の町」であったザルツブルクは、ウィーンのような有力貴族を欠いており、音楽をたしなむ階級が圧倒的に不足していた。モーツァルトは、すでに家族とともに1762年にはウィーンへ演奏旅行で訪れ、大好評を博していた。彼がザルツブルクでの宮廷作曲家の職を辞し、ミュンヘン、マンハイムを皮切りに新天地に職を求めて旅立ったのは1777年、モーツァルト21歳のときであった。
ザルツァッハ川右岸地域
南東から北西にむかうザルツァッハ川の右岸、すなわち市の北部にあたる新市街にも歴史的に重要な建造物が残っている。その代表的なものがミラベル宮殿である。
教ヴォルフ・ディートリヒが愛人ザロメ・アルトのために建てたとされるのがミラベル宮殿(de、Schloss Mirabell)である。ヨハン・カスパール・ツッカリ(1677年-1717年)の設計による。1818年に火災があり、そのあと修復され、現在はザルツブルク市長公邸として用いられている。2階には壮麗な「マルモーア・ザール(大理石の間)」があり、モーツァルト親子もここで演奏をおこなっている。2階にのぼる階段は「天使の階段」と呼ばれ、1723年にラファエル・ドナーによって造られたものである。
なお、ツッカリによるザルツブルクの他の建築にはカイエターナー聖堂、エアハルト聖堂、レジデンツ、大学旧館などがあり、上述した旧市街のレジデンツ広場、大聖堂広場もツッカリの設計による。
ミラベル宮殿には、1690年にフィッシャー・フォン・エルラッハ(1656年-1723年)によって設計された美しいミラベル庭園(de;Mirabellgarten)が付設されている。庭園には、ギリシア神話の神々の彫刻がならび、「ペガサスの噴水」のまわりは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』でジュリー・アンドリュース演じるマリア先生が子どもたちと一緒に「ドレミの歌」を歌い、踊ったところである。
なお、エルラッハの手によるものとしては、参事会聖堂、ヨハンネスシュピタール聖堂、ウルズリーネン聖堂があり、後述する三位一体聖堂もエルラッハの設計によるものである。
モーツァルテウム
ミラベル庭園に隣接して音楽院モーツァルテウム(Mozarteum)がある。附属図書館にはモーツァルト関連資料が保管されている。また、ウィーンで『魔笛』を作曲したという伝説の小屋が移築、保存されている。
人形劇場と州立劇場
モーツァルテウムに隣接して、人形劇場(Marionettentheater)がある。約1メートルの背丈のマリオネットを用いてモーツァルトのジングシュピールなどを上演しているオペラ劇場である。隣接してザルツブルク州立劇場があり、内装の豪華なことで知られる。
三位一体教会
ザルツブルクにおけるフィッシャー・フォン・エルラッハ最初の建築といわれるのが、三位一体教会(Dreifaltigkeitskirche)であり、1694年から1702年にかけて建てられた。2本の時計塔を有するバロック様式の教会で、ドームのフレスコ画はヨハン・ミヒャエル・ロトマイヤーの手によるものである
大司教マルクス・フォン・ホーエネムスの夏の離宮として建てられたヘルブルン宮殿(de;Schloss Hellbrunn)はザルツブルク南郊に所在している。
至るところに水の仕掛けがあり、庭の石造りのテーブルから定期的に水が噴き出す仕掛けや噴水により王冠を浮かび上がらせる「王冠の噴水」などで有名である。かつて大司教はこの宮殿に客を招き、宴もたけなわになると水を降らせて客がびしょ濡れになるのを楽しんだという。1613年から1615年にかけて改築され、5つの水力機械、256体の木偶を備えた機械劇場がある。
庭園内にはマルクス・フォン・ホーエネムスが1月で完成させたという伝説をもつモーナーツ城があり、現在は民族博物館として利用されている。